REPORT 現場リポート

New Yorkへ行きたいかー!!!? ニューヨークカメラマン日記 Season2 Vol.12

2022.11.25
制作技術・報道技術

 

■広島原爆投下77年目の夏@ニューヨーク

核軍縮について協議するNPT(=核拡散防止条約)の再検討会議が8月1~26日に、ニューヨークの国連本部で開催された。
唯一の核被爆国である日本の被爆者や被爆者の子供の方などが、その惨禍を繰り返してはならないとの強い信念で、その言葉を世界に向けて発信した。

現在カナダに住む、広島で被爆した「サーロー節子」さん。
彼女は、英語で被爆体験を語られる数少ない存在だ。私たちはそのサーローさんに、あるテーマで密着取材を行った。
『アメリカの学生に“被爆体験を英語で伝える意味”』とは何か?
アメリカの学生にとって、原爆は身近な存在ではない。77年前のその出来事を知らない人もたくさんいる。
“核の脅威を伝える”その想いでサーローさんは自身の経験を彼らに語り続けた。
当時のありのままの様子を被爆された本人から、通訳を介さずに生きた声が聞けるということもあり、学生らは真剣な眼差しでサーローさんの一言一句に耳を傾けて聞き入っていた。聞き終えた学生からは、『私たちが確実に(サーローさんの想いを)語り継いでいく』と涙を流しながら約束した。

しかし、私自身、地上波の放送では尺も限られ、想いのすべてを伝えきれなかったと感じたことから、それをなんとか伝えたいと考え、自身で「日テレNEWS」YouTube チャネル用に再編集し、英語のまま、ほぼノーカットで配信した。この動画で、日本だけでなく世界にサーロー節子さんの声が届くことを願っている。

【被爆体験を継承】「あなたたちが語り継いで」 アメリカの若者に被爆体験を継承 サーロー節子さん(90)が人生をかけて伝えたかったこと - YouTube

 

■エリザベス女王ご逝去

9月8日、エリザベス女王ご逝去の一報が世界中を駆けめぐった。一つの時代が幕を閉じた瞬間だ。私たち、ニューヨーク支局のクルーも現地ロンドンの取材団に加わることになった。

エリザベス女王の容態が悪いという一報から崩御まで、まさに突然の出来事で、イギリス行きが決定してから、ロンドン行きのフライトまではわずか3時間…準備の時間はほとんどない。自宅で1週間分の着替えをトランクに詰め込み、会社で機材をかき集め、タクシーに飛び乗った。

限られた時間を有効活用する為、空港に向かう道中では、イギリスのSIMカードの情報やエリザベス女王の最新情報を集め、東京やロンドン支局と情報共有を行いながら、空港に到着したのは搭乗手続きが締め切られる5分前。本当にドタバタ状態での出国だった。
イギリスに到着後、最初に向かったのは、女王のご遺体が安置されているスコットランド・バルモラル城。女王が最後に過ごした場所で、気候も良く、空気も澄み、時間もゆったり流れている自然豊かな場所。エリザベス女王が愛した場所だ。
お城近くの町には、女王ご逝去以降、イギリス国内外から数多くの人が、その小さな町に集まり、女王への最後のお別れと感謝の気持ちを伝えた。
子どもから大人まで、幅広い年齢層に愛されたエリザベス女王。
この町では、女王と市民の交流機会が多かったそうで、一緒にアイスクリームを食べられた市民にも容易に出会うことができた。
市民に寄り添い、市民を愛し、それ以上に市民に愛された存在であったと、取材からわかった。

女王のお棺はより多くの国民にお別れの挨拶ができるよう、各地を転々する。
2か所目として女王のお棺が到着したのがスコットランドのエディンバラ。一般市民の弔問も行われ、その列は夜通し途切れることが無く、3時間以上並んだ人や、少しでも女王と一緒に居たいと、何度も列に並び直した人も数多くいた。
国民を愛し、国民から愛されたエリザベス女王。その最期に立ち会えたことは、報道カメラマン冥利に尽きると感じた。

 

※宮殿付近の花屋は売り切れが相次いだ


■第77回国連総会開幕~初の総会議場LIVE配信~

【個人として5回目の国連総会】
1回目は東京からの応援カメラとしての国連総会。2回目はNY支局員として初めての国連総会。3回目は新型コロナウイルスが蔓延し、要人もメディアも居なくなった国連総会。4回目はオンライン中心で行われた国連総会。そして今回の5回目は、コロナの規制が緩和され、活気を取り戻しつつありながらも、ロシアのウクライナ侵攻で、機能不全が露わになった国連が、今後どのように、その活路を見出すか注目が集まった国連総会。
ニューヨーク支局勤務にとっては毎年1回巡ってくる行事だが、毎回これだけ色が違う総会を経験できたことは、歴代のカメラマンの中でも、稀なケースだ。

そして、5回目の国連総会では新たな試みを行った。
今まで演説が行われていた総会議場内は、電波も入りづらく、生配信を行うことはとても難しい場所だった。しかし、コロナ禍で取材ができなかった2年の間に、国連の建物内部でも、5G通信網が普及し、その5Gに対応したLIVE配信システムを新たに導入することにより、以前より通信状況が向上し、より安定した生配信ができるようになった。
そのお陰で、岸田首相が初めて国連総会で演説した場面をノーカット生中継で伝えることができた。他にも演説前の岸田首相の緊張した様子や、時差で苦しんでいる林外務大臣などの様子など、普段とは違った目線で撮影したものを配信という方法で、世の中へ送り出せた。毎年行われる会議でも、新しいことに挑戦していくことの大切さを改めて学んだ。


最近、NY支局内にある歴代カメラマンの素材の整理を行っているが、数十年前の素材も色あせることなく残っており、1つ1つの素材に、歴史を感じ、カメラマンの伝えたい思いや、意思が込められているものを目にする機会を得られた。何気ない日々の取材も、積み重なれば歴史の一部となり、それを、後世に伝え残すことができる仕事は、プレッシャーでもあり、誇りにも感じる。そんな刺激のある日々を私は送っている。
 

※岸田首相の演説を生中継


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