REPORT 現場リポート

ニューヨークカメラマン日記 Season3 Volume3

2024.01.05
制作技術・報道技術

 

■ 緊迫の中東情勢 人質の解放は?
2023年10月7日に勃発した、イスラエルとイスラム組織ハマスの間での戦闘。
イスラエルでは多くの民間人がハマスの戦闘員により虐殺され、200人以上が人質としてガザ地区に囚われました。
また、イスラエル軍による報復のガザ地区への空爆や地上侵攻によって、パレスチナでも多くの民間人が犠牲となっています。
このような緊迫した状況が続くなか、戦闘が一時休止され、人質が解放されるという情報が流れます。
その瞬間を取材するため、11月下旬、私はイスラエルへと向かいました。
 

 


戦闘休止の一報を受け、出張が決まりました

 

■ 単身イスラエルへ
今回のNNNの取材団は、パリとロンドンからそれぞれ記者が1人ずつ、ニューヨークからカメラマン1人という布陣となりました。そのため、ニューヨークからイスラエルまでは単身で移動します。
イスラエルへの航空機は、セキュリティのためチェックインの前に尋問があり、自分一人でやり取りをしなければなりませんでした。
当初予定していた航空機では、機材がセキュリティチェックに引っ掛かり、フライトを変更しなければならなくなるなど、様々なトラブルがありましたが、11月23日、何とかイスラエルに入国することができました。
慣れない英語でのやり取りを繰り返さなければならず、精神的にかなり疲れましたが、NY駐在カメラマンとしての成長を感じられる経験でした。

 

■ 戦時下の街の様子は?
イスラエルに到着してまず驚いたのが、街の様子が戦時下とは思えない、普段通りのものだったということです。
空港に到着してから、取材拠点のあるイスラエルの中心都市、テルアビブに向かったのですが、ラッシュ時には交通渋滞が起き、飲食店は深夜まで営業していて、通りには人が行き交っているなど、みんな日常の生活を送っていました。
しかし、街の中では多くの場所で人質解放を訴えるポスターを目にし、週末には大規模な集会が開催されるなど、この戦闘によってイスラエルの多くの人が苦しめられているということも感じることができました。

 

 
 街では各所で人質の解放が訴えられていました

 

■ 深夜まで続く人質解放交渉
11月24日、一か月半続いた戦闘が一時休止され、人質の解放が始まりました。
しかし、イスラエル側とハマス側で、ガザ地区内への補給物資の不足や人質リストの内訳など、細かいところで揉めることが多く、最初の人質が解放されたのは、予定されていた時間よりもかなり遅くなってしまいました。
私は解放された人質がヘリコプターで移動するところの撮影をイスラエル軍から許可されていたのですが、撮影ポイントで待つこと8時間半・・辺りはすっかり暗くなり、ヘリコプターのライトしか見えない撮影となりました。
 

 


人質の解放は深夜に

 

■ ガザ地区を望む撮影
別の日には、ガザ地区が見えるスデロットという町から中継を行いました。
イスラエルではハマス側のミサイルが発射された際にアラームによって通知があり、各都市でアラームが鳴ってからミサイルが着弾するまでの避難に必要な時間が設定されています。ガザ地区に近いスデロットでは、その時間は15秒。戦闘休止期間とはいえ、何があるかわからない状況のため、防弾チョッキとヘルメットを装備し、すぐに逃げ込める簡易シェルターのある丘から撮影を行います。
戦闘は休止しているため、毎日上っていた砲撃による黒煙はなくなっていましたが、丘から見える範囲の多くの建物が破壊されていて、生々しい戦闘の爪痕が残っていました。
イスラエル軍の攻撃により多くの犠牲者が出ているガザ地区を望むことで、イスラエル側では実感することのなかった、戦争の悲惨さをひしひしと感じました。

 


防弾チョッキとヘルメットを装備しての撮影は大変でした

 

■ 軍の訓練施設に潜入
イスラエル軍の施設内には、「ミニガザ」と呼ばれるガザ地区の街並みを再現した訓練場があり、そこには人質が囚われているとみられる、地下トンネルも再現されています。そのミニガザで、隊員たちは市街戦の訓練を行っていました。
戦闘の再開に向けて着々と準備が進められているのを目の当たりにし、今の戦闘の休止という平和な状況は長くは続かないのだなと感じました

 


イスラエル軍による市街戦の訓練


ハマスの地下トンネルを模した施設も

 

■ 戦闘再開 緊張感の増す現場
12月1日、ついに戦闘が再開され、人質の解放も中断されました。
私たちは戦闘が再開されたガザ地区の様子を撮影しようとスデロットに向かいましたが、戦闘の休止中に撮影を行っていた場所では安全の確保ができないため、しっかりとしたシェルターを完備しているマンションの一室をお借りして、中継することとなりました
現場についてみると、ガザ地区からは黒煙が上がっていて、遠くからは乾いた銃声も響いており、昨日までの平和な状況からは一変していました。戦闘の再開後、ガザ地区では1日で100人以上の民間人が犠牲となり、辺りは悲惨な戦場へと逆戻り。
私たちも中継の直前にアラームが鳴り、シェルターに駆け込む時間があるなど、現場には緊張感が漂っていました。

 


バルコニーから中継


子供部屋がシェルターとなっていました
 

 

■ 戦地取材を経験して
安全を守るために常に緊張感のある中での取材は、精神的にも疲れますし、重い防弾チョッキとヘルメットを装備しての行動は、肉体的にも大変負荷のかかるものでした。
また、取材対象者に対してどのように向き合えばよいのかも、今回は悩むことが多かったです。
ある日突然家族が拉致され人質となっている。もちろん私にはそんな経験もありませんし、どんな感情になるのか想像することもできませんでした。人質家族の皆さんは希望をもって気丈にふるまっていましたが、心の奥ではどのように思っているのか、それをどのように撮影すればよいのか、難しい撮影が続きました。
この夕日の下では今も戦闘が続き、街が破壊され多くの命が犠牲となっています。終わりの見えない争いとなっていますが、中東情勢が今後どうなっていくのか、平和が訪れることを願いながら、引き続き取材していきたいと思います。

 


夕日に染まるガザ地区

 

 

 

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